たけのこ掘り(狩り)で思い出作り!掘って楽しい筍は万能野菜!
ゴールデンウィークは福島でたけのこ掘り!
投稿者:アイリッシュミルクさん
題名:毎年家族でたけのこ掘りに行っていたが…
毎年GWの恒例行事
私の地元は福島県にあります。
小さいころから、GWになると祖母の家に行くのが恒例行事でした。
なぜかというと、3つのイベントがあるからです。
一つは、地元の地蔵尊でのイベントがあるから!
その地域の人は、必ずと言っていいほど木でできたお地蔵さんを持っていて、それを母親であるご神体に会わせに行き、お参りしてもらうというもの。
二つめは、田植えです!
今では機械で田植えをしますが、昔は手でやっていたので、その名残でお手伝いに行くのが恒例行事です。
そして最後が、家の裏の竹林でたけのこ掘りをするため!
たけのこ掘りは悪戦苦闘
祖父と祖母、叔父、そして私たち孫でいつもたけのこ掘りに出かけます。
長そで長ズボン、軍手、そしてスコップを忘れずに持って行きますよ!
毎年、案外簡単に見つかるんです。しかしそこからがなかなか辛くて、見つけても掘るのが難しくて悪戦苦闘…。
いつも祖父に手伝ってもらっていました。スコップを入れる向きとか、力加減は難しいですね。
途中でぽきっと折れてしまったり、なかなか掘り出せなくて難しいです。てこの原理でスコップの柄の取っ手側を持って、力を入れます。
さすがに子どもの力ではできなくて、祖父と一緒に頑張っていました。いつも大きいのが7本くらい取れて、みんなで持って家へ戻ります。
土間で皮むき
祖母の家は、築120年を超えるほどの古民家です。
ところどころ改築はしていますが、広い土間や、囲炉裏があった名残などを見ることができるんです。その土間に採ってきたたけのこを置いたら、ここからは祖母の仕事。せっせと皮むきをして、ゆでる準備をします。
たけのこ掘りは一年に一度だけじゃなくて、GWの後も1回か2回やっておきます。たけのこをそのままにすると竹が生えてきますよね。竹の生えすぎを予防することにもつながるそうです。
田舎でしか味わえない日本の原風景
GWが終わると、にぎやかだった祖母の家も寂しくなります。
みんな離れて暮らしているので、GWが終わると家の中は静か。そんなときに祖母の家に行くのが好きでした。居間から土間が見えるのですが、私が居間でうとうとしていると、土間で一人たけのこの皮むきをしている祖母が居ます。
新聞紙を敷いて、その上に座ってせっせと皮むきをしている祖母。祖父はその間、五右衛門風呂に使う薪を取りに行っています…。また私が眠りに入ってしまうと、祖母はさっそく茹で始めています。
できたてのたけのこを使った煮物や、家でとれたお米で作るたけのこごはんが大好きでした。この風景を見ると、「5月が来たんだな」と感じ、ゆったりとした時間が流れるこの空間が一段と好きになっていきました。
震災後は…
2011年に東北を襲った東日本大震災。
地元も地震の被害を受け、もちろん祖母の家も被害を受けました。
家族も家も無事でしたが、農家である祖母の家は、原発事故の影響も強く受ける結果となりました。この年から、家族でのたけのこほりはできなくなってしまいました。
採れた農作物はすべて検査に回すので、その結果を知っている私は安心して食べることができます。でも、かつてはたけのこ掘りを楽しんでいたいとこたちは子どもを産み、その子ども達に食べさせることは控えたいから、とたけのこを持って行くことはありません。
たけのこ掘りを手伝っていた祖父は病気で亡くなり、祖母も一度体調を崩し、今ではあの土間もなくなってしまいました。
楽しかった思い出だけが残っています。
たけのこの味は収穫する場所で変わる!
投稿者:☆奈緒☆さん
題名:たけのこのノウハウ
たけのこはどこでとっても味は一緒だと思っていました。
実家には自然にたけのこが生えてきます。
実家から大量のたけのこを送ってもらったときに、ご近所さんに配りました。
そしたら「味が違う!たけのこ特有のえぐみがない。」と言われました。
私はずっと実家のたけのこを食べてきていたのでそんなことを思ったことがありませんでした。
実家でたけのこが生えてくる場所は、あまり日が当たらず、崖に生えてきます。そのせいか、たけのこのえぐみがないようです。
おすそ分けをした方もびっくり、私もびっくりしてしまいました。
たけのこの掘り方私の実家の場合
たけのこを掘るときに大事なことが2つあります。
1つはたけのこを掘る向き、たけのこの皮の向きによってきれいに採れるか、途中で折れてしまうか変わってきます。子供の頃からずっと言われ続けてきました。
「皮の向きと同じ方向から掘るように??」言われ続けてきたせいか未だに忘れる事はありません。
そしてもう一つは、たけのこが生えているからといってむやみやたらに採ってはいけないことです。たけのこの根っこはあちこちに広がっている、大きくなるとしなやかになる事です。
実家のたけのこは崖に生えてくるので、たけのこで崖崩れを防いでくれます。なので「たけのこを採ってきて、3本並んでいる真ん中のやつね。」と指定され、サンダル履いてたけのこ用のくわをもち晩御飯を調達しによく行っていました。
山育ちなので、暗くなっても夜目がきき、サンダルでどこでも行けるようになっていました。友達に話すと「あり得ない」とよく言われたものです。大人になっても今だにサンダルでどこでもいけます。
たけのこの皮でおやつ
実家は田舎だったので近くのスーパーに行くにも車で30分はかかります。
なのでおやつはそうそうありませんでした。
田舎のおやつは自分で調達です。
岩を登りグミを採ったり、花の蜜などが当たり前です。
そんな中唯一親からもらったおやつは、たけのこの皮の中の方をきれいにし、その中に梅干しを挟んだものです。
そのまま梅干しを食べるとすぐなくなってしまいますが、たけのこの皮があるのでずっとなめていると、徐々に梅干しの味が出てきて、たけのこの皮も赤くなってきます。
長い時間がかかるので、晩御飯まで持ちます。
今は結婚して主人がいますので、この話をするとなぜか同情されお菓子を渡されます。
私にとっては、たけのこを余す事無く美味しく食べられる事を教えてくれたんだと思っています。
たけのこアレルギーはアクが原因!?
投稿者:ストックさん
題名:タケノコの思い出
もう、40年も昔の話しですが。。
小さい頃は田舎に住んでいまして。。
すぐ近くに小高い山とかがあって、友達と遊び場にしていました。
人の山に勝手に入って遊んでたんです。
そうしたら、ある日山の持ち主の方にばったり遭遇しました。
私達は怒られると思っていたのですが、おじさんは、とても優しく、タケノコの見つけ方を教えて私達に掘らしてくれました。
タケノコ掘りは初めてでしたので私達は大きなタケノコを見つけては、おじさんに『掘っていい?』と聞いていました。すると、おじそんは『それは、育ちすぎているから掘らんでいい』と言われました。
掘っているうちにだんだん私達も、掘りごろのタケノコが分かるようになってきました。掘ったタケノコは持って帰っていいよと、言われ両手いっぱいに抱かえてかえりました。
なんだか、とても嬉しかったのを覚えています。これを持って帰ったら母親もきっと喜んでくれると思い急いで帰りました。
家に帰ると母はとてもびっくりしていました。おじさんが、掘らせてくれて、タケノコをくれたことを話しましたが、勝手に人の山に入って遊んでいたこともバレてしまい。結局叱られました。
名前も住所も聞いてなかったのて、連絡先もわからず。。その山での遊びも禁止されてしまいました。
せっかく、タケノコを山ほど抱えて帰ったのですが、季節がらご近所からもおすそ分けで頂くことも多く、その日も私が帰った時には、母は大きな鍋で近所で貰ったタケノコを下ゆでしているところでした。
私は、タケノコが大好きでしたので、いくらでも食べたいと思ってました。特に、母の実家から送られてくる新ワカメとを甘辛く一緒に炊いた料理が大好きでした。
根元の固い部分でも先の柔らかい部分でも、どちらにも、それぞれの美味しさがあり、それを食べると春が来たなぁ。と子供心に思いました。
その頃から、タケノコは食べたいだけ、食べていましたが、中学生の頃からタケノコを食べると耳の中が痒くなるようになりました。タケノコはアクが強いと聞きます。
アレルギー反応が私の身体の弱い部分に出るようで。。それ以来、タケノコは食べたいだけ食べることは出来なくなり、量を調整して食べるようになりました。沢山の量を食べることは出来ませんが、今でもタケノコは大好きです。
今は結婚して自分達で掘ったタケノコを食べることも、近所のおすそ分けで貰うこともありません。いまだに、あの40年前に食べたタケノコの美味しさを超えるタケノコはありません。
もうこれからもないのではないかと思います。